哲学をするとはどういうことか?
私は哲学の専門家ではない。
ただし、哲学の実践家である。
哲学を実践するとはどのようなことか?
カントがどうとかニーチェがどうとか、そんなことはどうでもよい。
学堂でご高説を聞くことにはあまり意味がない。
もちろん、先人の思考から学ぶことはあると思うが、
彼らがどのようなことを考えたのか、そのエッセンスにヒントを得て、
自らに当てはめることのほうが、はるかに重要である。
そうでなければ、自らの救済には何の役にも立たないからだ。
永井均氏の「倫理とは何か」(ちくま学芸文庫)のあとがきにこうある。
「哲学の伝統によって確立している問いは無視して、つまり哲学は無視して、自分が疑問に思っていることを考え抜くことだ。それに尽きるよ。哲学はそのために利用すべきものだ。そして逆説的だけど、それが哲学なんだ。この本だってそうなっているさ。だから、教科書のくせに各思想家の紹介も不正確だ。自分の問いに利用しやすいように変形させているからだ。それでいいのさ。そうであるべきなのさ。」
まったく同意である。
哲学実践家の私は、人生の苦難に出会うたびに、問を立て、自分の頭で考えてきた。
そして、この取り組みに何度も救われてきたのである。
これからも、そうするつもりだ。