人格者を目指すな。

 

たとえば、よく教養のある知識人から進められる書として、
「貞観政要」という本がある。

この本は、中国王朝、唐の第二代皇帝、太宗(李世民)の
治世を、その臣下とのやりとりを通じて記録したものだ。

太宗李世民の治世は、のちに貞観の治といわれ、
中国の歴代王朝、歴代皇帝のなかでも、もっとも世の中が
うまく治まった時期の1つといわれる。

なぜ太宗李世民の治世がよくまとまったのか。
それは、太宗李世民が、自らを律し続けていたからといわれる。

たとえば、皇帝に諫言をする官職というのがあるのだが、
魏徴をはじめとする臣下の直言、
「陛下、あなたのこの言動は誤りなのではないですか?」
という言葉によく耳を方向け、死ぬまでそれを咎として罰することが
なかったという。

実はこの官職、ほとんどの歴代王朝・皇帝の時代にも設置されている
のだが、臣下から直言をうけて腹をたて、死刑にしてしまうのが常で、
その役割を全うした皇帝はほとんどないといわれる。

それくらい、中国の皇帝としては珍しいわけだ。

そこで、その言動が学ぶべきもの、とされ、
リーダーシップやマネジメントの話になると、すぐに
こういう話がでてくる。

「感情のコントロール」「傾聴」が大切だ、人格者になれ、と。

しかし、私は、これは的を外していると考える。
そもそも、中国の皇帝の立場と、あなたの立場は全くちがう。
くわえて、マネジメントの本質はそこにはない。

むしろ、人格者になるために自らを無理に追い込むのであれば、それは本末転倒だ。
日本の管理職の苦しさはここにある。
管理職になりたくないと考える若者が増え続けているのも道理だ。

まず、自らに無理があってはいけない。自らに無理のない人間であれば、
相手を尊重できるし、感情のコントロールなどそもそも問題にならないのだ。

その上で、相手の感情を受容し、相手の理想のあり方を描いてあげることが、
マネジメントの本質である。あとは任せればよい。

朱子学の呪縛から逃れよう。

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