少年でない”少年”がいてもいい
優しげなこの街ではモラルという手錠が
味気ないガム噛んでる僕の腕に掛けられそうBaby 人の群れが、同じ顔で、通り過ぎていく…
無理してでも明日は不自由さを取り除きたい
中略
この狭い地下室では何か狂っている 狂っている
わずかな願いを握りしめ、少年は信じてた
誰の声より誰の夢より逆らうこと、逆らうこと
黒夢の”少年”は、最高にロックだ。
逆にいうと、こういう感覚にはやく気がつけるひとが10代、20代に
不良だったり、ひきこもりだったり、アーティストになったりするのだと思う。
大方の人にとっては、どこか絵空事で、忌避すべきものや憧れではあっても、
当事者としては関係のない世界であるはずだ。
だから、少年時代にこの歌詞の意味がストレートにわからなかった人も
すごく多いはず。そして、かなりのひとが気づかずにそのまま人生を終えてしまう。
米国の詩人、サミュエル・ウルマンはいった。
青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
もし青春が心の持ちようで永遠に続くのなら、
いつあなたのロックがはじまっても、いいはずだ。
ロックに、いまさら、は、ない。