ゲド戦記2〜こわれた腕輪〜

 

ゲド戦記、といえば、宮﨑駿監督のご子息吾朗氏によって映画化されたので、名前は聞いたことがある方は多いと思う。

だが、実際に手にとって、このファンタジーを読み進められた方はどれだけいるだろうか。

アーシュラ・K. ル=グウィン

文化人類学者の父をもち、数々の賞に輝く、アメリカ生まれのこのファンタジー作家は、人が人としていかにいきるか、そのことを考えている人間ならば、その道の途上で必ずや向き合うことになるであろう、様々な問いを、伝えている。

この2冊めの、壊れた腕輪では、魔法使いのゲドが、闇の名無き者たち大巫女「アルハ」(元の名はテナー)に迫るこのシーンが鬼気迫るものがある。

『決めるんだ、テナー。どちらかに決めなくちゃいけないんだ。わたしを置き去りにして、鍵をかけ、祭壇に行って主たちにわたしを引き渡し、それからコシルのところへ行って、彼女とうまくやっていくかー(中略)ーそれとも、鍵を開けて、わたしといっしょにここを逃れ、墓所も、アチュアンもあとにして、広い海原に出ていくか。そうなれば、話はそこから始まる。アルハになるか、テナーになるか。両方同時にはなれないんだから。』

テナーは、幼少のころ、先代の大巫女が死んだことで、その日に生まれた赤子として、白羽の矢があたり、大巫女の生まれ変わりとして生きていくことを余儀なくされる。そのときに、もともとの名前、「テナー」は捨て、「アルハ」となったのである。アルハとなってからは、闇の洞窟で儀礼を司るばかり、外の世界のことなど一切しらない。建前上は大巫女としての権威はあれど、実質は大王やそこから派遣されたコシルを始めとする人々に逆らうことなどできない、とここまでかけば、

いかにテナーが、このゲドからの誘いに応じることに勇気がいることか、わかっていただけよう。

程度の差こそあれ、もしあなたが自分の人生をイキていないのなら、あなたは「アルハ」であり、「テナー」としてアユミを進めることができるかを、問われ続けている。

P.S.訳者あとがきで紹介されていたフランス人文学者の一文が美しい。

真に偉大な事業は狂気に捕えられやすい人間であることを人一倍自覚した人間的な人間によって誠実に執拗に地道になされる

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