アメリカの親にみる子どもの扱い

これはトーストマスターズの2016年、世界大会の準優勝者のスピーチだが、

5分10秒が経過した時点で紹介されるエピソードが面白い。

「私がまだ子どもで、実家に住んでいたとき、親なら誰しもが、自分の子供からそういわれるのを夢見る発言を、私はしたんです。

『おかあさん、ぼく家をでたいと思ってるんだ。』

その発言を聞くと私の母は、

『Yes!!!!』

とガッツポーズを取りました。 」

米国では、親ができれば子どもの面倒から解放されたいと願っている、ということが一般的な認識になっているのがよく読み取れる。

翻って日本ではどうだろうか。

あからさまにガッツポーズをとるなんて、信じられない、という人が多いのではないだろうか。

このスピーチのエピソードのように、正直に嫌だって伝える親と、

自分が嫌だって気持ちに嘘をついて、嫌がらない体を装う親と、

どちらが好ましいだろうか。

私は、コミュニケーション的には前者の方が好ましいと思っている。

正直に嫌なのだ、ということが親から子どもにダイレクトに伝わっていれば、それを前提に、子どもの側も、気兼ねなく、正直な行動をとることができる。

しかし、親に暗に嘘をつかれている子どもは、それがあからさまになっていないものである以上、その嘘に自分をあわせながら育つことになる。『自分は面倒がられていないのだ』という前提で、親の行動を解釈し、自分の行動を選択することを強いられる。

そこには混乱があり、屈折がある。

日本では、自分がいらついているという気持ちを伝えずに、「そういうことはしてはいけないでしょう?」「良い子になりなさい」と伝えることが多いように思う。だから、子どもは本心では反発しながら、よくわからないメッセージをなんとか解釈しながら自らを抑圧し、良い子になろうとする。

そうして、多かれ少なかれ、屈折していく。

意識しないと、こういう正直なコミュニケーションを貫くのは難しい…

 

 

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