失われた30年の正体

哲学もなく、楽しむことも知らない経営者の下で、愉しむことを忘れた技術者やホワイトカラーでは、もはや何が『創造的価値』なのか、わからなくなっている。それが、日本の失われた30年の正体である。

高度経済成長期は、科学技術の発展と規格大量生産による商品・サービス提供が、ひとの負担を軽減し、楽しさと結びついていたから、『創造的価値』が生まれていた。しかし、インフラや生活がある程度整い切ると、楽しみと商品・サービスが分離し、真面目さや過酷さだけが求められるようになった。

価値を産み出す活動、すなわち『生産性』という言葉をニュートラルに捉えるなら、その意味は、創造性だ。

ただ単に、これまでの社会、経済制度や規範が、個々人がその感性を最大限発揮することを促すのではなく、逆の方向で動いていただけのこと。

個人のための生産性が、いつのまにか、組織(誰か)のための生産性に置き換えられてしまった。そこにレトリックがある。

どうすれば個々人の創造性が高まるかを考えれば、それぞれに異なる感性と、そこから生まれる幸せな状態。これをできる限り尊重するという結論にならざるを得ない。

幸せな状態を作るには、そこにいるひとが、楽しく・快適でなければならない。
快適さよりも過酷さを、楽しさよりも真面目さを強調する経営に未来はない。

 

 

 

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