「堕落論」(坂口安吾)の現代的意味〜忠犬ハチ公からどら猫の時代に〜

「徳川幕府の思想は四十七士を殺すことによって永遠の義士たらしめようとした。」朱子学からの脱却。この本がいってることはそれに尽きる。

文化的モラルのなかにいると、なかなか認識できないが、
日本は、いまでも明らかに、封建時代の朱子学が浸透した頃の文化的美意識が根付いている。

しかし、もとをただせば、こんないいかげんで、うわついた国民性をもつ
ひとたちもいない、と坂口安吾はそういっている。

彼は、戦後まもない日本人に対し、堕落せよ、といったのだ。
堕落しないで幻想(武士道や天皇制など)に身を委ねるから、
人間性からかけ離れたことをしてしまい、悲劇をもたらしてしまったのだ、
と言いたかったのだろうと思う。

それが起こりうる状況はいまも変わっていない。

面白かったのは、
堕落をする(人間性に正直になる)のは難しいとした上で、
人間は弱いからこそ、そうした規律をもとめ、そこに自己の威厳をみいだすのだ、
と指摘している点だ。

「人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。
人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎ出さずにはいられなくなるだろう。」

私は、こうした幻想がなくとも、いまの時代なら、自分勝手ゆえに楽天的な自立した個々人を中心に、愛のあるリアルな(顔の見える)関係性を多元的につくりだすことで、安定した秩序を創り出せると信じている。

その具体的な考え方を紹介しながら、一貫して強くなれ、とお誘いしているわけだが、強くなるには、あまたの恐怖を乗り越え無くてはならない。その恐怖の乗り越え方に気づいたことがあるから、このブログをやっている。

戦後70年以上経ったいまでも、あなたも、ぜひ伝えたい。
まずは、「生きよ、堕ちよ」と。
(人間本来の感性を取り戻せ)

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