本当に価値のある「仕事」とはなにか?

「仕事」について考えたい。
ここでの「仕事」とは、価値のある「仕事」とはなにか、という意味である。

私はもともと、非常に効率主義者であった。
素早く多くをこなすことに、とても大きな価値を置いていた。

社会人になりたてのときに、
広報という業務で、胃がキリキリする、
1秒も気を抜けないような気分でいることを強いられていたことも大きいと思うが、
段取りをたてて、とにかく早くこなすことを徹底的に覚えた。

自分のためではなく、他人のため”だけ”に働いていると、こうなりやすい。
所属する組織の方向性と自らがそこにいるべき意味が、
ずれていると、こうなりやすいのだ。

そのずれは、組織自体、あるは、その人自身のビジョンが明確でなかったり、
相互のビジョンに対する認識がすれ違っていたり、
階層的・抑圧的なコミュニケーションが原因となって、
自らに正直になれない、あるいは、焦らされている環境があったりすると、生じるのだが、

ともかくも、そのずれがあると、”こなす”ことが目的化してくる。

そこには、
意識がない。目的がない。創造がない。

一見、多くをこなしているようにみえるが、
その価値は極めて低い。

「価値のある仕事」というのは、
根源的には自分のために価値がある(それが自然)かどうか、
というところにいきつく。

すると自然に、
価値のある仕事とは、自分にとって価値が感じられる試み(創造)、ということになる。

自分なりの目的が、その取り組みのなかに、
しっかりあるかどうか、が問われるのである。

目的とはすなわち、達成したい目標に向けて、意を払っていることである。
目的を持つには、とてもエネルギーがいる。時間がいる。

先日、Prayers Studioで、役を演じるときに、その役がそう発言・行動している、
「目的」を明確にせよ、という指南があった。
昔の自分の仕事ぶりを思い出し、本当に身につまされる思いをしたのである。

なんの気なしに、話をしたり、話を聞いたり、何かを働きかけたり、
作ったりして過ごしている事実に愕然とするのである。

スピーチで、メンターの方に、それとなくスクリプトを渡してアドバイスを求めたら、
「どのようなスピーチにしたいと思っているのか?」
「今回のスピーチの目的は?」
と問われ、はっとしたことを思い出す。

イケバナをしていて、漠然とつくりあげたものよりも、
表現したいことを明確にイメージしてつくりあげたもののほうが、
なぜか多くの人の心を打つことの不思議を感じずにはいられない。

一つ一つの取り組みに、いかに明確な意識(エネルギー)を注げるか、ということが
問われているのである。

取り組みに目的があれば、
それをいざ表現したときに、その目的が達成できたのかどうか、
自分で検証ができる。

検証の先には、進歩がある。

その進歩を積み重ねるべく、意を払うことこそ、
「仕事」というのだと思う。

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