「おもてなし精神」って本当に、世界に発信していいものなのか??
気遣いというのは、まあ、たしかに、気持ちが良いような気がするけれども、
それは前提として、その気遣いするひとに無理がない、ということがあるはずで、
もし、周囲が気遣いをすることを強いるなら、それはもはや気持ちのよいものでもなんで
もないんじゃないか。
日本赤十字看護大学教授の武井麻子氏が、その著書
「ひと相手の仕事はなぜ疲れるのか」で、看護師としてのキャリアを振り返り、
「笑顔で応対する優しい看護師像、感情の演技を求められる仕事(感情労働)によって、心が擦り切れてしまった」という思いを吐露されている。
夏石鈴子の『いらっしゃいませ』という小説が、日本の職場の感情労働者のありようをリアルに伝えているのだという。大筋を引用する。
20歳の出版社のOLであるみのり。
入社早々受付にまわされた彼女は、機械のように決まりきった応対をするのではなく、「人間味のある応対」を心がけるように指導される。
それは、来客の予定をメモしておいて、いらっしゃったときに笑顔で、『お待ち申し上げておりました』と言う、といった対応だそうだ。
その「人間味のある対応」をするために、来客がなく暇な時でも、本を読んでいるわけにはいかない(※筆者加筆⇒まるで「機械」のように!!)
いつも「感じが良い」という印象を人に与えるようにする必要があるのだ。
ある日、「該当者なし」と発表されたはずの賞をもらいにきたと、一人の客がやってきた。自分は「熱海の殿様」だと名乗るので、みのりは思わず笑いそうになってしまったが、この場面で笑顔はご法度。まじめな総務の中根さんに取り次ぐ。
「大声で笑えたらどんなにいいだろう、でも今笑ったら絶対にだめだ」そう我慢していると、みのりは、何だか悲しくなって涙が出そうになってしまった。
やがて、応対に出てきた総務の中根さんが、「熱海の殿様」の話をじっと聞いているのをみて、みのりは、「喧嘩っ早いひとも、怒りん坊の人も、決して中根さんになることはできない」と悟る。
「おもてなし」の力で、東京オリンピックを引き寄せたといったことが美談として語られているが、そのおもてなしの精神の裏側をみることを忘れてはならない。
嘘偽りの感情、労働を人に強いるのは人間性の否定であり、それを相互に強いているのであれば、そんなことは、全世界に発信するようなものではない。
自らの感情に正直であることにこそ価値があり、その正直さのなかにこそ、本当の意味での「おもてなし」(=自然な応対)があるといえるのではないか。
職業人としての硬い鎧を身にまとう時代は終わった。これからは自然体で真心をあらわす時代だ。
無理のない真心のその先にこそ、相手にとっても、リアルで気持ちのいい、接遇があると信じている。