笑いの本質は「安心」にある


最近、人を笑わすことに命をかけている名スピーカーと出会った。
そのスピーカーは独特の世界観で、自らの悲惨さをスピーチの
基調に据えるのだが、聴いていてふと、なぜこれに笑ってしまうのだろう、と考えた。と同時に、どういうときに人が笑うのか、関心を持った。

そこで、いろいろ聞いてみると、様々な場面があがったが、
結局の所、『安心』に集約されそうだ。

整理を試みたので、ここに共有したい。

●恐怖からの安心
代表格は、これだろう。恐怖からの安心。
緊張と緩和を作り出すのが、笑いを生む秘訣とよくいわれるのも、
その分、安心の度合いが強くなるからだろう。

何か予想外なことが起こり、緊張と恐怖を感じる。
そこから、通常そうであるべきものをみると、安心する。
すると、笑いが自然にこみあげる。

とにかく明るい安村の芸がわかりやすい。

恐怖:『みたくないものを見せられるのではないか…』
『世間的にみせてはいけないものが、見せられてしまうのではないか…』
安心:『安心してください、はいてます!』

笑い:『あ〜ほっとした〜』

恐怖が生まれる場面には、少なくとも次のようなものがありそうだ。

・モラル的タブー・ギャップ
とにかく明るい安村の例がそうだ。
モラル的に人前で裸をさらすのはいけないことだから。

・不自然
たとえば、あまりにおおげさなアクションだったり、
気持ちの悪い造形の生物がSFででてきたり、
そういう不自然なものに対しては、人は恐怖を感じるように思う。

一方で、恐怖からの安心以外にも笑いが起こる安心というのは
どうもありそうだ。

●帰属への安心

この筆頭格は、悲惨さだろう。
悲惨さは、こんな悲惨なやつがいてもいいのなら、
私だってこの社会にいていいのだ、という安心。

次に、コミュニティや人間のDNAが挙げられる。
リズム、テンポ、擬音、というのは私達のDNAに刻み込まれた
コミュニティの美しさなのだ。
ここにアクセスされるとかつての美しい記憶が呼び起こされ、
安心を感じる。そして、笑いが起こる。

日本語でいえば、5、7、5、のテンポなど。
ユニバーサルにいえば、Pの音は乳幼児の頃の母子・父子関係の記憶を
思い起こさせる。 Pen Pineapple Apple Penが代表だろう。

最後に、客観視された秘密。
メンバー間でのみ共有される秘密に対して、笑いが起こるのは、
帰属の安心が感じられるから。

『ちょっと変わったスピーチクラブでも』というやつ。
自分たちが世間的に少しずれていることを、仲間と共有する文句。

●自然さ・美しさへの安心

おとなはよく自分を偽るそれが、ときに正直に立ち戻る。
無理をしない瞬間を垣間見せるときがある、それはとても自然で美しい。
そのとき、昔いた美しい世界への憧れが安心を感じさせる。

最も自然なのは子どもだろう。

お子さんがいる方からの指摘があって、
ああ、そういうものなのだな、と目からウロコなことがあった。

美・可愛さや純粋さ、というものをみると、思わず笑ってしまうようだ。

あかちゃんの可愛さにおもわず笑いがこみ上げてくる、というのは、
それは恐らく、かわいい・美しい状態でいる我が子を通して、
自然・宇宙の美しさを思い起こす安心とでも表現できるかもしれない。

こどもの純粋な様をみて笑ってしまうのも同様で、
本来こうしなくてはならない、なんてものを、おかまいなしに
無邪気に振る舞う姿は美しい、そしてそこに自然・宇宙をみて、
安心感をもつという説明をしてみる。

ただしこれは、モラル的ギャップの笑いでもある。

●つながりへの安心(一対一の要素が強いため帰属とは分けた)
・結束
何か(悪事でもよい)を計画する二人が、その企てに対して笑いがこみ上げるのは、お互いの結束に安心が感じられるからではないか(一体感)。

・予測
落語の落ちがわかってつい笑ってしまうのは、相手と通じ会えたことがわかり、安心するから。

と、かなりの数があるのがわかった。これらはすべて微笑ましい笑いだが、実のところ、そうでもない笑いもあるようだ。

●自分自身の弱さへの安心(弱者の笑い)
悲惨さにも似ているが、悲惨さは『いてもいいんだ』と思わせる笑いで、自分はあがりもさがりもしないが、
こちらの安心は、自分を上にあげよう、あるいは相手を下にさげよう、相手を利用しようという意図がある点で、
かなり異質だ。

・ニヤリ、という優越感の笑い
・ざまーみろ・馬鹿だなあという嘲りの笑い
・そうですね、という媚びる笑い(愛想笑い)

自分自身の弱さに起因する、これらの笑いは、あまり美しくない笑いといえるだろう。

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