絶対、メモを取ってはならない

「あぁ゛もう、メモ取らなくていいから!」

私はそう苛立ちげにいわれて、面食らった。

「え??」
「なんで?」
「あとでどういう話をしたのかわからなくなるじゃないか」
「それに、そっちがしょっちゅう言ってること変わるから、
必死でメモとってるんじゃないか」

そう思った。

自分が好きなひとがやることはなんでもOKだが、
そうでない人間に対してはなんでもNOなのだから、
あたまがこんがらがっておかしくなりそうだった。

だが、いまから思えば、その相手に対して、
そのメモが役に立ったことは一切なかった。

そのときに気がつくべきだったのだ。
大事なことは記号やロジックではなくて気持ちだ、ということに。

英語スピーチと出会って、
ひとのスピーチをひたすらきいてみて、ようやくわかった気がする。
そのときに、その場にいる、ということの大切さを。

そのとき、その場にいる、

これがなかなか難しい。何かほかの考え事をしてしまうから。

「あ〜このひとの話つまんないな」

「あ〜お腹空いたな」

「あ、そうだ、次これ話そう!」

と・に・か・く、自分勝手に、

その時間・場所をコントロールしようとしたり、
その時間・場所からいなくなってしまいがちなのだ。

とかく私は、人の話を聴かないことを教わってきたように思う。

小学校のときは、授業があまりに簡単すぎる内容なので、先生の話は一切聴かず、
ずっとドリルを先に進める内職を、友人と競い合っていた。

中高では、先生が丁寧に板書を書くものだから、
理解していなくても、きちんとノートに写すことが奨励されていた。

社会人になってからも、
上司にもう一度聞き直さないように、と、メモをとるのが良いことだと教わったし、
新入社員時代には、議事録ばかり作らされたものだから、
どんどんどんどん、メモ魔になっていったのである。

そうやって過ごしていると、一番大事なことを忘れてしまう。
そのとき、その場で話しているひとに向けられる
注意が散漫になってしまうのだ。

そうすると、
本当にその人が伝えたかった感情や思いを聴き逃してしまう。
手元に情報は残っても、共感やつながりは残らない。

だから、本当は、
メモは、「できる限りとってはいけない」、のだ。

相手に向き合いきるこそが、本当のコミュニケーション
(他者と他者のつながり)なのだ。

それは、禅の思想が
now here(いま、ここに)といったように、
よく生きることにもつながる。

あなたのまわりに、
好きな人・嫌いな人で物事を判断するタイプのひとがいるのなら、
そんな人へのアプローチを変えてみることから始めてみたらいい。

記号やロジックでは人とつながることはできない。

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