あなたのトラウマはどこにあるのか??


Prayers studioのイベントに参加してきた。
http://prayers.jp/
素晴らしいトークショーだった。

通底するテーマは、究極の演技(魂の交流)を成し遂げる上での、トラウマの解除の功罪。

ほぼ演技の現場にいる演出家や役者サイドから、心理学や脳科学の先生方に疑問や質問が投げかけられ、それに先生方が答えるというスタイルがとられた。

主な議題は次の5つ。

Q1)心理的ブロックを取り払ったら役者としての個性がなくなってしまうのではないか?

これは役者さんからの質問だが、人間個性というのが過去の体験に基づく、という考え方からくるものだろう。

その過去の経験が何らかの形で取り払われてしまうと、アート(個性の表出)ができなくなる、のではないか、という、懸念に近い問題提起だった。

これはほかの役者さんも口を揃えていたので、現場の実体験、体感なのだと思う。それはスピーチをする私も何となくわかる。

たしかに、開かれれば開かれるほど、俗にいう「個性」は確かになくなるようなきがするが、その一方で、自らの細胞が求める「感性」は一層際立ってきている実感がある。

この感性を「個性」といってもよいのなら、個性はなくならないと、私は思う。

Q2)「統合」が進み、安定的な人格の人間が増えたら、芸術は不要になるのではないか。
※統一場心理学での「統合」とは、認めづらい自分の面をみとめていくことで、内面的な葛藤が解消され、使いこなせる人格領域が拡大した状態。

これも役者の方から提起された疑問で、芸術と人格の安定性を結びつけているところが面白かったのだが…いまひとつなぜ芸術が不要になるのか、よくわからなかった。

結局は、「芸術」の定義いかんによるのだと思う。

その点、統一場心理学の吉家先生の定義が妥当な印象を受けた。
http://www.moment21.com/yoshiieshigeo/

「芸術」とは普通できないものを上手く調和させてみせ、観客をそちらの世界に引きずり込むこと。

これを 私なりに表現してみるなら、
「ひとは調和に真善美を見出し、ゆえに安心する。そしてそれを芸術と呼ぶ」とでもなろうか。

この定義の根底には、統合された人格(心理的な内面に葛藤がない)の持ち主は、安定しており、その人が行う調和のとれたアクションにこそ、観衆は安心感(真の意味での共感)を見出せるのだ、という考え方が流れている。

これは非常に説得的であるし、この考え方をとるなら、安定した人間が増えると自らの満たされない部分を求める渇望は少なくなるので、激しさはなくなっていくかもしれないが、調和への安心感という「芸術」そのものは、穏やかな形で残り続けるだろう。そして、芸術家は、一層、本物の調和をみせる必要がでてくるので、心的に統合され、安定していることが求められるようになるのだといえる。

Q3)今ここにいることと、役者として計画や目的を持つこととの関係は?

役者にとって、今ここにいることの重要性は、ほぼ疑いのない共通認識だった。なので、話はその先へといった。

たしかに、役者は、場面の設定であるとか次はこういう風に動くであるとか、あるいは相手に働きかけるであるとか、どうしても目的や計画というものがでてくる。

このことと、今ここにいる(雑念なく集中する)こととは、矛盾するのではないか?

これがPrayers Studio代表のtomoさんの疑問である。

正直ここの議論は、今ここにいる、というのがどういう状態なのか、という話に終始していた。

たとえば、トラウマを取り除くということの脳科学的な意味(右脳と左脳の行き来、身体・感情部分と思考部分の行き来をスムーズにすること)やその効果(演技のリズム、テンポがよくなる)であったり、フロー状態にはいるとどのようなことが起こるのか(上から俯瞰して観衆をみることができ、意識の領域が広がる)、といった話だ。

かたや、目的や計画という部分については、スライドに計画や目的のことが「未来」と表記されたこともあって「未来」についての話がなされた。だが、ここでも面白い指摘があった。ブレインスポッティングがご専門の鈴木先生のお考えだ。
http://suzuki-takanobu.com/post-566/

「未来」とは、脳科学的には過去の経験に基づいた推測のことをいうのであり、未来を考えている時点で、今ここにいることにはならない

のだという、これはとても面白い見方だ。

私も全く同じ考えで、だから毎回、
「夢は持ったほうがいいし、バカにされるくらい大きな夢を持とう」、というものの、「今を生きる方が大事」だから、あくまで「今を輝かせるために夢を使おう」、といっているのだ。

Q4)心理的ブロックを取り払っても、戻ってしまうのはなぜか?
これは最後に私の方から質問したのだが、習慣だ、ということであった。

それにしても、ブレインスポッティングは大変面白い手法である。
過去のトラウマが存在している目線の先を集中しながら、投げかけられた
質問に答えていくことで、トラウマが解消されるのだという。

ただ、これも時間とともに効果が漸減してしまうので、繰り返しやる必要があるのだという。

過去に向き合うという点では、スピーチにそういう効能があるので、
私はそういう講座を持っているわけだが、スピーチはさらに自主的な活動であるという点で、定着しやすいという特徴を持っているのではないかと思っている。

いってみれば言葉と声と宣言の力をそばにおくわけだ。

過去に向き合ったあとに、さらに一歩進めて、
ひとが自由(自らの価値観を貫く覚悟がある)にいきていけるようになるために、なぜ私が、詩や哲学をお勧めしているかというと、それも実はほぼ同じ理由である。

言葉の力を借りるためだ。
今度は他者、そして人類の記憶から。
だから、私にとっての取り組みは、過去の悲しみを解消する、あるいは忘れる、というよりは、立ち向かい、陶冶する、というイメージが近い。

過去も未来も、今のために用いることができる。

人は時間の魔術師になれるのだ。

Q5)一発目の演技でパフォーマンスが高いのに下がっていってしまうひとと、一発目は低くても、徐々に上がっていく人がいるのはなぜか

これについては、結局時間切れで対話が尽くされなかったように思うが、
私なりに説明を試みるとすればそれは、新鮮さがなくなってしまうと、雑念が入りやすくなるタイプと、数を重ねるほど、雑念が抜けていくタイプがいるからだと思う。

「これは過去にあった怖いことだ..」
「周りにどう思われているだろうか」
といったバリアーが最初から強いひとは、逆にこれが解ければとけるほど、よい演技になっていく傾向が強い一方で、
逆に、最初から開けているひとは、意外に、
「前よりうまくやらなきゃ」
「これ前とおんなじじゃん」
という雑念から距離を置くことが難しいのかもしれない。

以上がトークライブで感じたことだ。

最後に、とてもいい劇団なので、私からも
ぜひ、新しい広い劇場保有計画に、ご協力をお願いしたい。

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