映画「DEAD POETS SOCIETY」を見かえして…

「教壇の上に立つ」
「教科書を破り捨てる」
「屋外で自由に歩き回る」

そんなことをさせる
国語教師がいたら、どう思うだろうか?

この映画は、
詩というものを心から理解し、体得した、
一新任教師によって、高校生がその生き方を
大きく変えていく青春群像劇だ。

実は、この映画。
私が20代後半の頃に一度みてはいるのだが、
そのときは、よくメッセージを掴むことができなかった。

ところがいま見返してみると、
当時気がつかなかった、この映画が伝えようとしていたことが、
手に取るようにわかる。

というよりも、いまならわかるという確信があったので、
見かえすことにしたのだ。

「教育」とは、自立心を養うこと、とする新任のキーティング先生は、
「教育」とは規律の順守を教えること、とする校長先生と食い違う。

キーティング先生の意味での『教育』は、権威を疑い、自分に正直な生き方
を模索することをひとに促すので、一部の人たちにとっては実に都合が悪い。

この映画でもそのことはよく描かれていて、
ニールの両親や校長がその役目となっている。

その両者の反目のなかで、劇中、
青年の一人が、思い悩んだ結果、悲劇を招いてしまう。

そして、キーティング先生は、その責任を押し付けられ、
放校処分となってしまう…

その青年の両親が学校に、徹底調査を依頼し、校長が主導する調査のなかで、生徒たちがその圧力にあがらうことができず、間違った事実認定に署名をしていってしまったのだ。

だが、だからといって、キーティング先生のメッセージが生徒にとって有害だと認定されるのかというとそうではなく、青年たちにとってかけがえのないものであったということが、しっかりと、エンディングで示される。

こういう、
かつてそこにいた人たちの
魂の叫び、すなわち詩を吟じ、
自らも叫ぶ、そんな
Dead Poets Societyを作りたいと、強く思った。

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