哲学と宗教の違い

ちいさな哲学者たち、をみた。

フランスの幼稚園で始まった
世界で初めての”子どもたちとの哲学のじかん”
その2年間の奇跡を収録したドキュメンタリー映画である。

3歳児にも哲学をさせてしまうというのが、
さすがフランスというところだが、
なぜフランスで哲学することが重視されているのか、少し考えてみた。

思うに、フランスという国は、社会を貫く価値体系(王権とカトリック)と断絶した
歴史があるからだと思う。

いわずとしれたフランス革命がそれで、
王権神授やカトリックに代わる、実効的に機能する
新たな価値体系を探し求めてきたといえるのではないか。

そのうちのひとつが、
ロベスピエールがしかけた、理性神崇拝の式典だ。

啓蒙主義という理性に基づいて
宗教を排したため、理性を神とするよりほかなかった、
という背景があったのだと思うが、

この理性崇拝、全くうまくいかなかった。
あまりに人工的であったから。

そうして共和制と王政を繰り返してきたフランス国家だが、
社会を通底して頼れる価値体系がない。
だからといって近代化政策をとるうえで、
カトリックに戻ることはできない。
こまった。

そこで、哲学によって、一人一人にその価値体系をつくることを
奨励している、ということができるのではないか。

そうやって考えてみると、
明治政府が国家神道という形で導入した価値体系を、
第二次世界大戦での敗北を通じて失った日本は、
戦後、一定の価値体系を失ったまま、
池田勇人首相の掲げた所得倍増計画以来、
経済の論理に翻弄され続けているといえる。

それが世界から
“エコノミックアニマル”と揶揄される所以だろう。

さて、私がなぜこれをいったかというと、
宗教と哲学の違いを伝えてみたかったからだ。

色々な違いはあるが、
宗教は価値体系のインストール、
哲学は価値体系のプログラミング、だと捉えている。

どちらが自由かといえば、自明で、
それは哲学である。

なぜなら、ひとが作った価値体系の外までもメタ認知しながら、
自分の価値体系を柔軟に練り上げ、変えてていくことができるからだ。
そのため、ひとに利用されにくいのだし、
本当の自分の感性に基づく価値体系を作っていけるので、自然だ。

だがしかし、いっぽうでしんどいのは確かだ。
いつでも自分を信じることができないといけないから。

だから、多くのひとがそうなることを期待するのは現実的ではない、
とも思っている。

そうしたときに、そこにいる多くの人間に共通する、穏健な価値体系としての、
(愛のある)宗教や道徳というのが必要とされるのだと思う。

だが、重ねていうが、これは本筋ではないので、
できれば、自らコーディングし、変更し、他の価値を吸収していってもらいたい
と思う。

Follow me!