イタリア人作家、 ベッペ・フェノーリオの小説「不運」を読んで

イタリア人作家、
ベッペ・フェノーリオの小説「不運」を読む。

実はこの小説、日本語では出版もされていないのだが、
日本に一冊しかない、大変貴重な学士論文としての翻訳を、
貸していただけるという幸運に恵まれた。

このベッべ・フェノーリオは、類まれなる哲人で、
死の病と気づいても、何も変わらずに
最後のときを過ごしたというお話を伺っていたので、

どうすれば、そのような強さをもちうるのか?
そのことに非常に強い関心をもっていたのだ。

ランゲというイタリア北部の農村の小さな農家の生まれの
青年が、実家の困窮から、別の農村に労働力として身売りされる。

そうして始まる苦難の数々。
・奴隷のような重労働
・移動の自由のなさ
・ひもじい食生活
・少ない報酬(ほとんどは実家に送られる)
・家族と離れ離れの日々
・弟以外の家族からの愛の欠如
・父の死
・最愛の弟の病気
・恋愛の非成就

やっかいもの扱いでひどい環境にあっても、
たくましさと、家族や郷里への愛を失わない。

華やかな都会での季節労働者への誘いに
心が動かされても、戻ってくる根っこがある。
つかのまに掴んだかにみえた幸運がかなわなくても、
その根っこに沿って、前を向き、生きていくことができる。

私が一番強くメッセージを受け取った部分は、
主人公の青年と母親との距離だ。

ふたつの場面を通じて、読者に念押しされる。

ひとつめは、
雇い主から都会アルバに連れて行かれたときに、
農村に身売りされた自分とは対照的に、
優秀さゆえ司教になる学校に引き取られた最愛の弟との
会話の場面。

弟はこういう。
「ああ、こないだ母さんがきたんだけど、母さんといったらドジでどうのこうの…」

え、自分のところに母さんが来ることなんて一切ないのに…
でも、ついこないだ母さんがここにいたのか!!
母さんがアルバで買い物をしている姿が目に浮かぶようだ…

弟の声が全然耳に入ってこない。
そのくらい母を愛しているのである。

にもかかわらずだ。
3年の丁稚奉公の末に、幸運にも故郷の農地を任されることになった
主人公をまっていたのは、愛する母との生活では、なかった。
それが二つ目の場面だ。

最愛の弟の結核(当時、不治の病)が判明したことを受けて、
ある日、農地の隅で母親がこうつぶやいているのを聞いてしまうのだ。

「神様、あの子が死んだときには、私もその後を追います」と。

母を愛しているのは自分なのに、
母が愛しているのは死にゆく弟で、
自分のことは全く気にかけていない。
このコントラストは非常に残酷だ。

フェノーリオは、ここから、孤独を描こうとしていたのだと思う。
どこまでいっても人間は独り。自分自身があるだけ。
それでもなお、ひとは強く生きることができるのだ、
そう伝えたかったのだと思う。

数々の不運にあっても、
自分が立ち返ることのできる根っこを持って生き抜く主人公には、
他者への嫉妬や恨み、自分の運命への嘆きがない。
孤独を前提にして生きる人間の強さがヒシヒシと伝わってくる。

P.S.最後に、大変貴重な翻訳を貸していただいたことに
感謝を申し上げます。

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